東京高等裁判所 昭和41年(う)24号 判決
被告人 松永猛
〔抄 録〕
所論は原判決は、本件公訴事実に対し被告人に交通法規上の違反があつたとはいえず、また業務上の注意義務を怠つたとも認められないとして、無罪の言渡をしたが、右判決は法令の解釈及び事実の認定を誤つたものであつて、破棄を免れないと主張する。
よつて検討するに、本件若林交差点は、世田谷通り(車道の幅員約一一米)と環状七号線道路(車道の幅員約二七米、以下環七と略称する)とが陸橋状に上下に立体交差し、そして両道路における交通の相互廻転のために、環七の中央の車道部分の幅員約一三米を除いた、左右両側の幅員各九米位(うち歩道約二・五〇米、車道約六・五〇米)がいわゆる副道として、右立体交差点より一〇〇米余り手前からそれぞれ環七の本道から分岐して、高さ一米ないし一・二〇米の防護柵(この防護柵は陸橋の両側にも欄干状に設けられている)を境に、環七の本道に接着し、且つ一度ないし二度の勾配をもつて並進し、世田谷通りにいたつて立体交差点の陸橋(高さ約五・六〇米)の両端でそれぞれ世田谷通りとほぼ直角に平面交差している特異な交差点(原判示にならい、代田町方面から上馬町方面に通ずる副道を第一副道、これと世田谷通りとが交差する部分を第一副交差点、上馬町方面から代田町方面に通ずる副道を第二副道、これと世田谷通りとが交差する部分を第二副交差点、右両副交差点を含めた場合を大交差点または単に本件交差点とそれぞれ呼称することとする)である。
しかして第一副道と第二副道との陸橋上の距離は約一五米あり、しかもこの間は、環七の本道は橋下にあつて、世田谷通り方向の交通しかないため、第一副交差点及び第二副交差点はそれぞれ独立した交差点であるかのような外形を呈しているけれども、右各副道は、前記の如く環七の交通の一部を世田谷通りに(またはその逆に)回転するために、環七の本道から分岐しているものであり、分岐後も環七の本道に装着、並進し、二〇〇米余にして再び本道に合流していて、各副道を含め一本の環七の道路と観念し得ること、回転のためのものであるから、各副道は事実上おのずからそれぞれ環七の左側部分の交通と同じ一方通行になつていること、第一副道と第二副道との間隔はようやく一五米であり、このような狭い間隔をおいて並行する二つの道路が存在することは通常考えられないこと、本件両副道の間のように、その中間が一方通行になつている道路形態は、中間が地下と平面の違いはあるが、グリーンベルト等の中央分離体のある道路における交差点でも常に見受けられるところである等道路の構造及び機能の実体からすれば、本件若林交差点は、右第一副交差点及び第二副交差点の全体を含めて、複合交差点としての一個の交差点を構成していると認めるのが相当である。
そして現実にも右大交差点では、公安委員会により、各副道の前方と世田谷通りの左右の前方とに各一個ずつ合計四個の信号機が設置され、右四個の信号機の運動操作により一連の交通整理が行われているのであるが、かような一体としての交通整理を行い得るのも、ひつきよう本件大交差点が、前記のような一つの交差点としての構造と実体をそなえているからにほかならないのである。
しかし本件交差点が一つの交差点と認められるとはいえ、その複合的な特異性に鑑み、道路交通法の各規制、ことにそのうち交差点に関するものが、すべてそのまま本件交差点に適用されるかは、問題である。この点につき原判決は、道路交通法第三七条第二項によれば、右折完了車は直進車に優先するとされているが、この規定を本件交差点に単純にあてはめることはできない。通常の交差点においては、右折しようとすればその場で直ちに直進車との関係に対する配慮が必要となり、そのために、直進車優先の原則(同条第一項)及び右折完了車優先の例外(同条第二項)が定められているのであるが、本件大交差点においては、本件被害車がたどつたように、第一副交差点を右折する場合を考えてみれば、右折車は、第一副交差点においては一方通行であるから、右折は簡単に行われ、直進車との関係は、第二副交差点のところまで持ち越されて、そこで初めて直進車に対する配慮が必要となるのである。それにもかかわらず同右折車についても、右折完了後は直ちに直進車に優先し得るとすれば、右折車は第一副交差点を右折すれば、第二副交差点にいたるまでの間に、容易に右折完了態勢となり得る関係上、常に右折車優先となり、その結果は、右折車が連続するかぎり、直進車は自己の前方が青信号であつても進行できないし、そのうち赤信号に変わると勿論進行できず、それでは直進車はこの交差点では殆んど進行できないという理くつになり、実際運行上も支障を生ずることとなる。それゆえに、右折車は、右折完了車であるという資格において、道路交通法施行令第二条により、前方が赤信号でも進行することはできるが、第二副交差点に進入するについては、あくまで直進車優先の原則に従うべきであり、直進車がない場合か、あるとしても遠い場合とか、または近い場合には彼我の速度、距離等の相対関係を見極め、安全である場合に限つて第二副交差点に進入できるといわなければならない。従つて右折車が右相対関係の判断を誤つて進入して直進車と衝突するようなことがあれば、その責任は右折車の側にあるとしなければならず、本件被害車の進行はまさに相手車との距離、速度の相対関係の判断を誤つて不当に第二副交差点に進入したものであるというのである。
よつて案ずるに、通常の交差点においては、車両が右折しようとすれば、その場で直ちに直進車との関係に対する配慮が必要となるに反し、本件交差点では直進車との関係は第二副交差点の地点まで持ち越されることとなることは、本件交差点の構造上原判決のいうとおりである。しかし原判決が、本件のような交差点では、右折完了車の後に右折車が連続するかぎり、直進車は進行できなくなるというのは、実際上の運行についてならともかく、法規上理論的にもそうなるとするかぎり、賛同できない。なるほど本件のような交差点では、右折車は直進車の進路に達する前に(本件交差点の中心は陸橋の中央にあたると認められるので、そこを廻れば右折を完了したこととなろう)、容易に右折完了の態勢にはなれる。しかし道路交通法第三七条第二項による右折完了車の優先通行権は、特定の直進車に対する関係においてこれを取得するのであるから、一の右折完了車が当該直進車に優先する関係にあるからといつて、後続の右折完了車がすべて同直進車に優先するとはいえないのである。実際面からいえば、優先権を取得した右折完了車に右折車が連続する場合には、本来は後続の右折車に優先権を主張し得る直進車でも進行を阻まれることになろうが、これはあくまで事実問題たるに止まり(この救済は信号のサイクル操作等別途に処置さるべきである)、事実問題としてなら、その反対の場合すなわち一の優先直進車に後続車が連続するかぎり、右折完了車がすべて進行を阻まれる事態を容易に想像することができる。であるから、原判決が右折完了車に後続右折車が連続するかぎり、直進車の進行が理論上阻止されるにいたるとし、これを根拠に本件交差点では同法第三七条第二項の適用がないとする立論は、遺憾ながら採用することができない。
しかしながら、通常の道路で、右折完了に伴い、これと同時に直進車に対する優先権を取得し得る場合においても、その右折は適法なものでなければならないのであつて、例えば同法第三四条第二項の徐行の義務に反して、直進車の直前へ急転回して進出したような不適法な右折であれば、直進車に対する優先権を主張し得る右折完了とはいえないのであるが、この法意は本件のように、直進車の進路(コース)が右折点より離れている場合に、右折車が右折完了後直進車の前面に進出するときにも、あてはまると解すべきであり、右折完了車は危険なく直進車の前を通過できる状態でなければ進出できないのであり、もし安全に直進車の前を通過できなかつたとすれば、直進車が急加速をしたとかの特殊な事情の存しないかぎり、その右折は初めに遡つて不適法なもの、すなわち直進車に優先権を主張し得る右折完了ではなかつたといわなければならないのである。
しかして本件においては直進車たる被告人車が第二副交差点に向つて特に加速したようなことはなく、ともかくも時速約三五粁という法定速度内で進行したのであるのに、右折車たる被害車と被告人車とが第二副交差点内の、被告人車側の同交差点の入口の横断歩道の向う側の線から約五・二米、被害車側の同交差点の入口から約二米の地点で出合つて衝突したという事跡に徴すれば、右折車は危険なく直進車の前を通過できる状態で進行したものではなく、遡つては直進車に対し優先通行権を主張し得る適法な右折完了をしたものであつたとはいえないこととなるのである。
しかし被害車に優先通行権がなかつたとしても、そのゆえに直ちに本件衝突事故につき被告人に過失がなかつたといえないことは勿論である。道路交通法上の義務違背の有無と過失の有無とは、おのずから別個の問題であり、過失の有無はあくまでも各事案の具体的状況に基づいて判断されねばならないのであり、ことに本件のように優先通行権の有無が相手車の前を危険なく通過し得る進行状態であつたかどうかの微妙な事実認定にかかつている事案においてはなおさらである。
ところで、実は、本件においては、被告人及び被害者とも、事故の時は右折車または直進車の優先通行権の有無の点は殆んど念頭になく、ただ被告人としては、被害車は第二副交差点の入口に停止線があるのでそこで停つてくれるだろうと思い、また被害者としては、被告人車はまだ相当交差点の手前にいたから、徐行して出て行けば停つてくれるだろうと思つて、それぞれ進行を続けたものと認定され、従つて右の事実関係を基本として、被告人の過失の有無も判断されるわけであるが、それでもなお優先通行権の有無が過失の有無、程度の認定の根底において作用し、または少くとも刑の量定に影響を及ぼすことは当然である。
しかして被告人のいう停止線とは、被害車の前方の第二副交差点の入口に、左方の横断歩道の内側の線より、長さ約九、八三米、幅約二〇糎にペイントで路面に引かれた白線であり、被告人としては同停止線は右折進行車に対し、そこで必ず一時停止すべきことを、命ずるものであり、従つて本件被害車も同停止線で当然一時停止するものと信じて進行したのに、被害車は一時停止せずしてそのまま進行したため衝突したのであつて、過失は被害者側にあり、被告人に責むべきところはないと主張するのである。
よつて検討するに、右白線は、所轄警察署員が、本件と同じ地点で本件と同じような衝突事故が多発するところから、第一副道からの右折車に対し、第二副道からの直進車に対する注意を喚起するとともに、危険ある場合にはその白線の手前で停止すべきことを促すために設けた行政指導のための標示であり、実際においても同白線では一時停止は必ずしも励行されていなかつたのであるが(原審及び当審証人亀崎昭二、当審証人笠原秋衛、同石田喜一、同岡本正の各供述参照)、被告人としても、元警察官を勤め、退職後も自動車教習所の教官をしたという職歴にまつまでもなく、タクシー運転者として従来本件交差点を通過し、そこに設けられている前記四個の信号機の配置関係等からみて第二副交差点が独立の交差点として取扱われていないことは知つていたのであり(もし第二副交差点が独立の交差点であると被告人が解していたとすれば、世田谷通りを第一副道方面から進行して第二副道を通過しようとする車両は、直進車であると右折車であるとを問わず、すべて第二副交差点の前方の信号に従つて停止または進行することとなり、特に前記白線を停止線であるとしてその意義を強調しようとする被告人の態度と相容れないこととなる)、従つてまた右白線は、道路交通法に基づき公安委員会により適式に設置された道路標識を伴うものではなくして、所轄警察署等により行政指導の目的で設置されたものであり、その指導内容も、前記の如く、右折車に対し、常に必ず同白線の手前で一旦停止すべきことまでを命じたものではなく、危険があれば勿論停止せねばならぬが、ともかくそこで左方からの直進車に対して注意を払うことを促す趣旨のものであることをも、被告人は知つていたと認められるのである。同白線が右のような趣旨のものであることを被告人が知つていたとすればなおさらであるが、かりに同白線が、行政指導としてではあるが、右折車に対し必ず一旦停止すべきことを要請するものであると被告人が解していたとしても、行政指導の標示は、公式の道路標識を伴うものとは違つて、法的強制力がなく、従つて同白線の意義を軽視し、または具体的な危険の有無の判断をおろそかにして、不用意に進出してくる車両のあるべきことは、被告人において当然予想し得たところであるといわなければならない。ことに本件事故が起こつたのは午前零時一五分ころであり、その時間帯における交通量等の関係からも不注意な右折車のあることは一層容易に予期できたはずであり、このことは、被告人にしても第二副交差点の被告人側の入口より約八米手前の道路左端に「危険徐行」と表示した行政指導のための立看板(これは一見して行政指導のものであることがわかる)が掲出されていたにもかかわらず、法定速度時速五〇粁の範囲内ではあるが、徐行とはいい難い時速約三五粁で第二副交差点内に進出してきたことに徴しても、明らかである。
しかして被告人は第二副交差点にさしかかり、すでに被害車との距離が右斜前方約二二・九米の地点(同地点から衝突地点までは約二〇米、そのときの被害車から衝突地点までは約一〇米)から、被害車が右折して進行してくるのに気付いていたのであり(既述のように、各副道及び陸橋上には防護柵が存し、且つ副道は傾斜しているため、右折車、直進車間の見通しは必ずしも良好とはいえないが、しかし被告人が右斜前方約二二、九米の距離から右折車を発見し得たことに徴しても、見通し状況が道路交通法第三七条第一項、第二項の適用に影響があるほどのものとは考えられない。しかも右防護柵と傾斜のために、双方に対しそれだけ余計に注意義務が要求されるにいたることは当然である)、そして前記の如く、白線が引かれているにもかかわらず、被害車が不用意に第二副交差点内に進出してくることが予想されたのであるから、これにそなえて、彼我の速度、距離等を勘案しつつ被害車の動静を注視し、場合によつては急停車をするなど危険の発生を未然に防止し得る態勢で進行しなければならないのに、被害車は白線のところで停止してくれるものと軽信して漫然時速約三五粁で進出したため、時速一〇ないし一五粁の速度で進行してきた被害車と前記の如く同交差点内で衝突したのであるから、たとえそのとき被害車に優先通行権がなかつたとしても、被告人として右折車に対する注意が足りなかつたものといわなければならない。
なるほど被害車側にも過失はあつた。被告人車との相互の距離、速度等に十分注意を払わずに、たやすく被告人車の前を通過できると速断し、または進出して行けば被告人車は停つてくれるであろうとの安易な気持から、安全を確認しないまま時速一〇ないし一五粁で進行したのであるから、被害車側にも過失のあつたことは否定できず、結局本件事故は被告人と被害車側の双方の過失の競合によりひき起こされたとみられるのであるが、被害車側にも過失があることにより、被告人の過失の刑事責任が消滅するにいたるものでないことは勿論である。
以上の次第にして原判決が被告人に過失がないとして無罪の言渡をしたのは、事実を誤認したか、法令の解釈適用を誤つたものであり、それが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由がある。
よつて刑事訴訟法第三九七条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により直ちに当裁判所において次のように判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和三九年一二月一八日午前零時一五分ころ、普通乗用自動車を運転し、東京都世田谷区上馬町二丁目一番地先の、世田谷通りと環状七号線道路とが立体交差する、交通整理の行われているいわゆる若林交差点を、上馬町方面から代田町方面に向い右環状七号線道路の副道を、前方の青信号に従い直進するに際し、同交差点ですでに反対側の副道から右折進行してくる辻慶喜運転の普通乗用自動車を、右斜前方約二二・九米の地点に認めたのに、同車との距離、相互の速度等に十分注意を払わず、同車が待避してくれ、たやすくその前を通過できるものと軽信して、同車の動静を注視しないまま漫然時速約三五粁の速度で進行したため、同交差点内で、辻運転の車両の左側前車輪のフエンダー部に自車の前部を衝突させ、その衝撃によつて相手車の乗客である下田幸男(当三二年)に対し加療約一〇日間を要する左手背部挫傷を、同岩井妙子に対し加療約一週間を要する左肩甲部の挫傷等を負わせたものである。
(樋口 関 金末)